[Sy] 子育てもシステム開発も何でも言われるままに応じることが「愛」ではない
「子ども」と「顧客」
子育てにおける子どもと、システム開発における顧客。
ぼくは両者に厳しく接します。
子どもに対してはかなり叱る方です。
なぜなら、自立した一人の人間になってほしいから。
顧客(要望を出す立場の人)に対してはかなり自分の意見を言う方だと思います。
なぜなら、顧客にとって良いシステムを作ってあげたいから。
もちろん、ぼくの教育方針や意見が間違っていることもあるでしょう。いいんです。間違っていたと気付いた時にきちんと謝れば。
100%正しい方向に導ける人なんて存在しません。今の自分が正しいと思うことを相手に伝え、そこを基準に微調整していくことこそ大切ではないでしょうか。
子どものわがままへの対応
子どもは、素直な気持ちで「やりたいこと」を伝えてきます。やりたいから、「やりたい」と伝えてきます。
それに対し、親は 子どもの将来を考える責任 があります。わがまま放題の大人にするわけにはいかないのです。
だからこそ、時に厳しく叱ります。もちろん、なんでいけないのか理由も説明します。
叱るということは、ものすごく疲れます。胸が痛みます。でも、それが親の責任だと思います。
それでも、やっぱり子どもはわがままをきいてくれる大人が大好きです。
親だって、子どもに好かれたいし、子どもが泣く姿を見たくはありません。しかし、だからと言って叱らないというのはいかがなものでしょうか。
わがままにただ応えるという行為は、親の責任を放棄して、楽をしているだけです。
顧客の要望への対応
顧客は、素直な気持ちで「やりたいこと」を伝えてきます。やりたいから、「やりたい」と伝えてきます。
それに対し、プログラマは システムの将来を考える責任 があります。機能を詰め込みすぎて使いにくいシステムにするわけにはいかないのです。
だからこそ、時に機能の実装を断ります。もちろん、なんで実装しない方が良いのか理由も説明します。
自分の意見を言うということは、ものすごく疲れます。勇気がいります。でも、それがプログラマの責任だと思います。
それでも、やっぱり顧客は要望を受け入れてくれるプログラマが大好きです。
プログラマだって、顧客を喜ばせたいし、顧客となるべく揉めたくないものです。しかし、だからと言って意見を言わないというのはいかがなものでしょうか。
要望にただ応えるという行為は、プログラマの責任を放棄して、楽をしているだけです。
何でも応じることが「愛」ではない
子育てだって、システム開発だって、何でも言われるままに応じることが「愛」ではない と思うわけです。
その時は相手に嫌な気持ちを与えることもあるかと思いますが、ぼくはやっぱり、相手のことを思うからこそ、厳しく接するというスタンスを大切にしたいです。
その気持ちが本物であれば、いつか必ず相手にもそれは伝わると信じてます。