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[Sy] 自分の考える言葉なんて所詮誰かが既に言ってること。それでも発信する意味を考えてみた。

2013/11/10

Twitterやブログなどを使えば、誰でも簡単に_自分の言葉_をたくさんの人に届けることができます。

ぼくもこうやってブログを書いたりしているわけですが、ふとこう思ったんです。

「自分の考える言葉なんて、所詮誰かが既に言ってることなんだよなぁ。」

まぁ、何を今更ってかんじですが。

例えばいくら自分にとって新しい考え方を発見してツイートしてみても、間違いなくほぼ100%、それはもうすでにどこかの誰かが言ってることなんですよね。しかもたくさんの人が、です。

はたして意味はあるのか?

そう思った時、改めて自分が言葉を発信する意味ってなんだろう?と考えてみたくなりました。

ここで言う「発信する意味」ってのは、それを目にする自分以外の人にとってということです。(突き詰めていくと、最後は自分が書きたいから書いてるだけっていう答えにたどり着くのはわかってるので)

言い換えると、自分の発信する言葉は誰かの役に立っているのか? ってことを考えるようなものですね。

こういう問いの答えとしてよく言われるのが、 「あなたが書くことで届く人がいる」 ってこと。

これも確かにそう思うんですけど、ぼくはこう思います。

その言葉にたどり着くまでのストーリーは人それぞれ

たとえ最後にたどり着いた言葉は一緒でも、それは決して「真似」ではないですよね。(ただのコピペや引用を除いて)

例えば「仕事が全てではない」なんてよくある言葉にしたって、その言葉にたどり着くまでのストーリー(背景や経緯)は人それぞれです。

仕事に打ち込むあまり体を壊してしまったとか、友人とトラブルになったとか、リストラにあったとか、一言では言い表せないストーリーがその裏にはあるはずです。まったく同じ人生を歩んできた人なんて、ただ一人としていません。

自分なりに考え、行動し、実感したことを、自分の言葉で、自分の気持ちを乗せて表現する。そうすることで、書き手の言葉には重みが出るはずです。

そして、読み手は何かしら自分と同じ部分を重ねあわせ、共感を覚えたり新しい発見をしたりするんだと思います。

ということは、自分が発信することで共感を覚えやすい人達が一定数いるんじゃないか?って考えることができます。 これこそ、ぼくの答えです。

有名な方が発した言葉には、納得はできてもなかなか共感できないってこともあります。そんな時に、ぼくのような凡人が同じ言葉を発していたとして、ぼくの言葉に共感してくれる人だっていると思うんです。

それがたとえ1人であっても、発信する意味は大いにあります。

あ、別に共感じゃなくて反感でもいいんです。要は読み手に刺激を与えられたら、その言葉には発信した意味があったと思えます。

逆に言うと、ストーリーを伝えることって大事

逆に言うと、共感を得るためには表面的な言葉だけ発信するのではなく、自分なりのストーリーを合わせて発信することが大事になってくると思います。

ブログはそういった発信に向いていますよね。この記事だってそう。答えはたぶんその辺に転がっているようなことですが、そこにたどり着くまでに何を考えたのかというストーリーも合わせて書いてます。なので、読んでくれる人によって、それぞれ共感できる(反感を持つ)部分があったりすると思います。(そう期待したいです)

Twitterは難しいですね。よく自分を理解してくれているフォロワーの方なら話は早いですが。Twitterで自分の考えを伝えたい場合は、数回に分けるとか、感情をたっぷり入れた言葉にするとか、何かしら工夫が必要なのでしょうね。短い文章だと誤解も与えやすいし。

ということで

改めて「発信する意味」というものを考えてみましたが、自分の考えを自分の言葉で発信することは小さいかもしれないけど価値のあることだと思います。

「今更こんなこと言っても」なんて気にする必要なんてないです。どんどん発信していきましょー。